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ジェンダーワイズ

Gender-wise 世の中のニュースやトピックをジェンダー視点から読み解く

浅田真央とは何だったのか

 真央ちゃん、引退しちゃいましたね。

www.huffingtonpost.jp

 浅田真央は、最後まで浅田真央でした。クリーンで清い。ひたすら純粋に練習に励み、競技生活を全うしました。

 お茶の間の人達は、「勤勉」「男の影を感じない」なおかつ「朗らでキュート」で、そしてそのイメージを決して裏切ることがない真央ちゃんがよかったのだと思います。

 なんといっても、まったくダーティなイメージがありません。男関係をすっぱ抜かれることもありませんでした。上手に隠していたわけではなく、本当にこの人は男関係を断って練習に励んでいたとしか思えません。

 なのに、このストイックさにあって、競技者とは思えない位、ふわふわした朗らかさを感じます。スポーツ界で頂点を極める女性たちは霊長類最強、野獣などなど、色々言われますが、この浅田真央に至ってはまったく別の次元にいるようです。

 そんな浅田真央だからこそ、引退会見の評判がお茶の間ですこぶる良いようです。

 平井堅もちょっと前の自身のファンクラブの会報でこのように言っていたそうです。

引退してもタレントにならないで!汚れないで!
このおじさんみたいになっちゃうよ!

  ・・・気持ち悪いですね。真央ちゃんはあなたの都合のいい道具ではありません。

 結局、お茶の間にとっては、浅田真央とはペットのように愛玩したいものなのかもしれません。ひらひら衣装にばっちりメイク、優雅にすら見えるフィギュアスケーターは、お人形さんのようなカワイイものなのかなあ。

 しかし、常に勝負のために切磋琢磨していて、多くのことを犠牲にした過酷な毎日を送っているはずなのに、なぜ、こんなに妖精のようないでたちに受け答えなんだろう、と不思議な思いです。

 思うに、アスリートとして、純粋無垢なまま、競技生活を送ってきたのではないでしょうか。無垢という言葉は少々足りないので、もう少し書いていきます。 

 フィギュアスケートを長年見てきた私にとっては、浅田真央がジュニアで彗星のごとく現れた頃こそ、その技術力の高さに衝撃的でした。浅田真央黄金時代がやってくると確信し、真央ちゃんに心酔しました。

 が、しかし、その後は思うほど伸びていきませんでした。

 もちろん、輝かしい功績はありますが、彼女にはもっともっとポテンシャルがありました。キムヨナを超える実力も本来備えていたはずです。

 残念ながら、旧採点後の新ルールにおいて、基礎点の高いルッツがエラーになったり、3-3の連続ジャンプが飛べない(トゥージャンプがトゥアクセルになってしまう)など、基礎力がやや不足していました。そして修正もうまくいきませんでした。 スピードとパワーも不足していました。

 トリプルアクセルが飛べ、超絶ステップという技術があるにもかかわらず勿体ない。

 また、アルトゥニアンコーチの下で米国に2年もいましたが、とうとう英語が話せるようになりませんでした。周囲とのコミュニケーション能力にはやや疑問符がつくところです。

 コーチとの師弟関係も、どことなく距離があり、信頼しきっている感じはありませんでした。晩年、日本人コーチというチョイスしかなかったのは残念でしかありません。

 学校も満足に通っていなかったわけですから、インタビューで答える彼女の語彙には私はいつも幼さを感じていました。

 つまり、彼女は練習100%で生活していたのです。そんな働き蜂的な考え方は、スポーツ科学においてはもはや、通用しないと危惧がありました。もっと学業も芸術も余暇も必要です。それが演技の引き出しになっていくからです。

 安藤美姫は英語が流暢です(海外にいたら当たり前ですが)。宮原知子は学業も優秀です。逆に、脱線という例では、荒川静香がフィギュアから離れてサブウェイでバイトをしていた、などなど、浅田真央にはスケート以外に興味のあるものがなかったのではないでしょうか。

 お茶の間ではキュート!と可愛がられる女性でありながらも、アスリートとしてセクシュアリティを微塵にも感じません。選手生活をする上でオトコを我慢したというより、練習に猪突邁進するあまりそちらに目をくれなかった、という感じがします。

 男性関係に限らず、生活のすべてがそうだったんだろうと思います。

 バンクーバーオリンピックで2位になったとき、呆然と泣き続け、結果に満足しないそのアスリート魂にお茶の間の感動を呼びました。

 作り笑顔で表彰式に臨み、他の受賞者を讃える、という余裕はありませんでした。

 相当の負けず嫌いですが、言い換えれば、彼女は表彰台の一番高いところにしか目標がなかったように思います。それはアスリートとしてば当然といえば当然かもしれませんが、羽生選手は勝っても試合の中身を常に問い続けています。

 つまり、毎回の試合でのレビューが甘かったではないかと私は思います。トリプルアクセルがランディングできれば及第点、という感じすらしました。アクセルの精度を上げることだけではなく、試合をどう点数で積み上げていくか、もう少しち密な計算をした上で試合構成を考えて臨んでほしかったと思います。コーチも手を焼いたことでしょう。

 決して年齢的な衰えがあるとは思えません。戦略いかんでは、もう少し長く競技人生を送れたように思います。

 

 まるで妖精のような引退会見ではありましたが、彼女自身、純粋にスケート100%に打ち込んできた結果であることは間違いありません。打算がなく、ひたすらまっすぐ、無垢なのです。

 無垢なゆえに、アスリートとして高い完成度の域に達することができなかった無念さを感じ取ってしまった今回の会見でした。

   感動的な場面もありました。会見の最後に後ろを向いて涙をぬぐってにこっと笑いました。選手時代泣いてばかりいたことへの反省だと思います。とくにバンクーバー。何の後悔もないという精一杯の意思表明。

 引退はしましたが、もちろん、人生はこれまで以上に輝かせることができます。競技時代にできなかったことを、これから貪欲に取り返していってほしいと強く望みます。